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十勝総合振興局のあらまし
*1666年に「ピロー場所」
*十勝の開拓が本格化
*河西支庁設置
*十勝支庁に改称
*十勝総合振興局に改称
今から316年前の寛文6年(1666年)に松前藩が「ピロ一場所」を設けアイヌとの交易をはじめたのが十勝開発の端緒といわれ、明治2年に函舘に北海道開拓使庁が設置されたとき、1部51村の十勝国がおかれました。
その後、明治12年には十勝国の各部村は浦河郡役所の管轄となり、同13年、十勝、中川、河西、河東、上川の5郡に各村戸長役場が設置されました。十勝の開拓が本格化
明治16年、依田勉三、鈴木銃太郎らの率いる晩成社移民団27人がオベリベリに入植し、いよいよ民間人による十勝の開拓がはじまリました。
これに呼応するかのように、明治19年1月には、北海道庁が設立され、20年に十勝は釧路郡役所の管轄となりました。
道庁は、開拓推進のため、殖民地の選定などに取り組み、官民一体の開拓の時代に入っていきました。河西支庁設置
明治28年十勝への移民が増えたことから、これに対処するため北海道庁植民化十勝派出所が設けられ29年に開所。
30年4月には、釧路外12郡役所から分離した河西外6郡役所が帯広に設置され7月に開庁しました。
そして11月には、郡役所を廃して支庁制をとり、ここに河西支庁の設置をみ、十勝統括の礎になりました。
河西支庁の庁舎は、34年2月1日建設中に出火、翌年1月18日にも再焼失し、完成は37年でした。
(庁舎は、現在の市立総合体育館附近)十勝支庁に改称
昭和7年8月支庁庁舎が、帯広市東5条南9丁日に移転新築。
これと同時に名称も河西支庁から十勝支庁に改称され、戦前戦後を通じて、十勝の今日の発展に大きく貢献しました。
十勝合同庁舎落成、十勝総合振興局へ改称
そして、57年12月、この年老いた庁舎は50年に及ぶ使命を終え、帯広市東3条南3丁目に完成した北海道十勝合同庁舎にその使命をバトンタッチしました。
また、平成21年には十勝総合振興局と改称し現在に至ります。
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