遭対協の災害体験

遭対協の災害体験

大きな遭難事故と救助(中高年登山者に潜む危険) 2010.4.5

・平成21年7月16日発生トムラウシ山山岳救助に携わって

・斉藤 邦明(音更町在住・十勝山岳連盟理事長)

 十勝地方遭難防止対策協議会は、災害法に基づく山の救助と予防啓発のための十勝支庁長をヘッドに市町村長、

警察署、自衛隊、森林管理署、山岳連盟等が入り組織されている。

 十勝管内にある日髙山脈の多くは、まだまだ原始の山であり、道も案内板も整備されていないため、沢を遡ることで

しか登れない山が多くある。十勝では以前から、登山経験と技術のある山岳会員が同行し、遭難救助に協力してきま

した。

 しかし、自分が知る限り37年間でこのような悲惨な山岳遭難事故が起こった記憶は無かった。

 トムラウシ山は、百名山の一つとして有名となっており、十勝から見て奥座敷とも言うべきトムラウシ山は、大雪山の

南西の端に位置している。全国的にもあこがれの山であり、特に近年は旅行会社のツアーにより多くの中高年登山客

が毎年沢山訪れている。

 昨年7月16日東京の旅行会社が募集した登山ツアーで8名が亡くなるといった遭難事故がトムラウシ山において発

生した。15名の参加者は、(50~70代)と4名のガイドと伴に、14日旭岳温泉から旭岳を越え白雲の小屋に1泊、翌

15日は風雨の中、忠別岳、五色岳を経由しヒサゴ沼の避難小屋にたどり着いた。

 日本列島には梅雨前線が居座り、平地では雲が低くたれ込め、日照時間は今月に入り最低の記録を更新していた。

 16日早朝、ヒサゴ沼の小屋では、朝から雨風が強かったが、トムラウシ温泉まで通常7時間のコース、前トムラウシ

を越えると、あと半分の道のりとなり風当たりの少ない登山道を降りることが出来る。

 ガイドは、午後から晴れると判断し、5時半に出発した。

 しかし、ヒサゴ沼から稜線へ出ると吹きすさぶ風に、次第に体力を奪われ、まだ、全行程の3分の1に満たない北沼

にたどり着くまで普段の2時間を5時間費やすこととなる。あまりにも強い風と寒さのため遅れが出始め、動けなくなる

人が出始めた。通常、人の体温は36度前後、体温が2度下がるだけで低体温症の症状が出はじめ、判断能力や行

動に支障をきたす。

 隠れる場所もない平坦地で登山者は、次々低体温症に襲われた。午後4時、前トムラウシまでたどり着いた登山者

から警察に第一報が入り、午後5時に十勝支庁から山岳会へ救助要請が入ってきた。

 「トムラウシ山において登山者19名が遭難しており、天気が悪条件のためヘリコプターは飛べない、地上からの捜

索となる」。更に、午後5時半頃になると、「8名が遭難、3名は下山中、サブリーダーが前トムラウシで動けなくなる」と

の情報。この時点で日没も近く、ヘリが飛べない状況に8名の遭難者を救助するためにはどのようにしたらよいのか、

全く見当もつかなかった。

 とりあえず、現場に行かなければならないと会員に救助出動要請を行い準備、トムラウシ登山口に着いたのは午後

10時半、風は止み、夜空は満点の星となっていた。釧路地方の警察の他、道警中央からもトムラウシ入りし、午前4

時に出発することと決まった。その後の状況を鑑み、自衛隊も要請することとなった。

 17日、登山口から捜索に入ったが、上空には自衛隊や警察のヘリコプターが飛び交い、次々遭難者が救出されて

いた。私たちがトムラウシ南沼キャンプ場に着いた頃には、ほとんどの収容が終了していたが単独で入山していた男

性1人が近くの岩陰で、息絶えているのを発見、おそらく風が回り込み、岩陰も隠れる場所とならなかったと思われた。

ここまで来ても、昨日から消息を絶っていたサブリーダーは、まだ依然として発見することが出来なかったため、前トム

ラウシまで戻り再び捜索を開始、午前11時、前トムラウシからコマドリ沢に降りる途中で発見、遭難者全員を収容する

ことが出来た。

 振り返ると、トムラウシ山では、7年前の平成14年7月にも2人が亡くなる遭難事故が起きている。7月9日、梅雨前

線と台風6号が日本付近に接近し、九州から東北地方にも豪雨をもたらし、岐阜県西部では400ミリを越えていた。

 愛知県から来た(50代から60代)女性4人らは、旭岳から白雲小屋を経由し、ヒサゴ沼の避難小屋についた。

 11日、食料が無くなる不安から強風と横殴りの雨の中、避難小屋を出発、北沼分岐で迂回する道を誤り、トムラウシ

の頂上を越えることとなった。トムラウシ公園で1人が動けなくなり、低体温症で亡くなる。

 また、同日福岡から来た中高年の8人パーティーは、トムラウシ山からヒサゴ沼、白雲小屋経由で旭岳温泉に降りる

予定であったが、トムラウシ山の頂上から北沼へ降りる途中で、1名が行動不能となり、ガイドがシュラフで覆うなど、

夜通し付きそうが亡くなっている。

 7年が経ち、再びトムラウシ山で遭難事故が起き、9名の犠牲者を出すこととなりました。

 多くの登山者は、他人の遭難に無関心であること、時が経つとその危険性は薄れてしまい、余裕のない計画や装

備、天候の判断が教訓となっていなく、事故につながったと考えられます。

 救助を求める上で山岳地帯は、携帯がつながりにくいところが多く、特にトムラウシ山の北側中央部では、電波は届

きにくい。

 また、悪天候の中では、ヘリコプターが山間部を飛ぶことが出来ず、徒歩での救助も危険な状況下では、困難を極

めることとなります。

 1つの判断が人の生死を分けたこの事故、残された者の悲しさを知るとき、もちろん装備や体力、技術があれば助

かったと思いますが、もっとゆとりのある山歩きを楽しんでいただきたかったと願うものです。

 

 

※十勝支庁の名称は、遭難発生当時の名称として使用しています。

(とかち防災マスターネットワーク事務局)

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