防災マスターが聞いた災害体験 村瀬氏 長内取材

 

 

防災マスターが聞いた災害体験 村瀬氏 長内取材


 

防災マスターが聞いた災害体験

「私が見ていた主人 故・村瀬信義」           
                                            妻 村瀬スミヱ(帯広市在住)

 私は、主人が継ぐ川西の農家に嫁に来たのですが、主人はなんと帯広農業高校卒業の3年後
には川西消防団入団して活動しておりました。私と結婚した昭和38年頃には消防団員として、
かなりの技量を身につけていたようでした。

 私の日常は,姑さんに子育てをお願いしていただきながら、農業に汗水流す毎日でした。
勿論、主人も家業に専念しておりましたが、いざ消防団より緊急の招集が入ると、家業を後回し
にして消防団に駆けつけておりました。昼間でも夜中でも、出勤となると、自分ひとりで身支度を
して、家族に気を遣って静かに出ていくことが多かったので、私は主人が他の人に恥をかかない
ように、常にワイシャツの襟の汚れや汗を拭き取ったり、清潔にしたり、身なりに気をつけ、
いつも消防活動出勤時に着ていく服装一式を揃えていたものでした。

 歳末警戒には地域の奥様方にも協力を願うなど防災活動は勿論のこと地域安全・地域を守る活動に常に気を遣っていました。
 消防団職員等の関係する方々には、どんなことがあっても、私が責任をとるので思いっきり活動してほしいと、関係する方々に誠意・情熱を示しながら周囲に働きかけをしていたのを思い出します。

 自ずと家族・子どもたちにも感化し、娘は女性消防団に入団させ、防災士の資格を取得させておりました。

 主人は若くして亡くなったのですが、死後、病名がわかりました。病名は難病の一つでした。
でも、消防団員として、役員として、またリーダーとしても、自分の目指すことに真面目に情熱を込めて職責を果たし終えたと思います。
 これも周囲の皆さん、関係された皆さんのお陰であります。
 多くの賞状も受賞しました。有り難うございました。

 と思い出深く語ってくれました。
 終わりに奥様は、次のように結んでくれました。


私は、主人に、こんなことを言ったり・思ったりしておりました。
「おとうさんには、好きなことを思いっきりやって下さい。
うまくないと思うときはブレーキをかけるよ、愛が応援するんだよ」


                                        平成22年8月 お話の聞き手 長内

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