戦後の畑作は、食料増産の柱のもとに推進され、再び投機的農業の対象となった小豆が「赤いダイヤ」と称されて脚光を浴びるなどしましたが(コラム ~十勝の豆作~ 参照)、他方では冷災害との戦いでした。
昭和28年(1953年)には冷害と風水害、29年の台風15号による水害と冷害、30年の水害、31年の冷害と連続して災害に見舞われ、国内経済が、昭和30・31年には「神武景気」と呼ばれるような好況にあった中、北海道農業は壊滅的な打撃を受けました。 特に31年(1956年)の冷害は大正2年(1913年)以来40年ぶりの大凶作で、その被害額は当時の金額で全道396億円にも及びその窮状は惨憺たるものでした。このため、様々な冷害対策が行われました。(コラム ~冷湿害と凶作~ 参照)