戦後の食料増産と土地改良

 昭和20年(1945年)8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して終戦となり、極度に縮小された国土に戦災者、疎開者の他、多くの外地からの引き揚げ者、復員軍人等を受け入れざるを得ず、戦後の社会情勢は混乱を極めました。こうした国内情勢に対し、本道の重要性に改めて注目した政府は、その大半を本道に依存した開墾面積70万ha、入植戸数20万戸を目標とする緊急開拓5カ年計画を昭和20年11月に策定しました。
 この計画は、終戦当時の社会情勢からみて国民の飢餓を救うための食料確保の目的もありましたが、むしろ失業対策・社会不安防止などが重要な課題でありました。その結果、既存農地の生産性向上よりも開拓事業に重点が置かれました。
 十勝管内では、昭和20年から23年にかけて1市19町村の72地区、2万7千400haに、1,821戸が入植し、開墾建設事業により抜根、道路や飲雑用水の整備、排水路や暗渠の整備が進められました。この開墾建設事業は、昭和40年頃まで行われましたが、入植地の中には高台や沢地など農耕に適さない土地もあり、新規入植農家の多くが短期間のうちに離農していったのです。

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