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最終更新日:2013年1月29日(火)


404コラムビート栽培


■産業振興部調整課
      Coordination Division        
      Industrial Promotion Department    

調整課


  ◎ コラム


◆ ~ ビート栽培 ~

 十勝の農業が、不安定な豆作偏重から脱し、輪作体系の確立により安定した農業生産を確保するためには、ビート・馬鈴しょなどの、寒冷な気候に適した作物の導入が不可欠でした。

 今では十勝の代表的な畑作物のひとつとして、高い生産性を誇るビートですが、最初から栽培がうまくいったわけではありませんでした。

 十勝で本格的なビート栽培が始まったのは、大正8年、大正村(現在の帯広市稲田町)に北海道製糖(現在の日本甜菜製糖)の製糖工場が建設されてからのことでした。道内の他の地域で原料の確保と輸送が障害となって挫折した事例を踏まえて、いち早く輸送手段の確保に着手し、大正12年に原料ビートの輸送のために設立された十勝鉄道は、「トテッポ」という愛称で親しまれ、当時交通網が未発達だったため、多くの住民が利用し、地域開拓の面でも大きな功績を残しました。

 大正9年は多雨・日照不足などで1ha当たりの収量がわずかに3.3tで、翌年からは10tを超えたこともありましたが、戦前は労力不足や肥料の欠乏、地力減退などで非常に生産性が低かったのです。

 戦後はやや収量が向上したものの、栽培技術の未熟さなどから、1ha当たり20t程度の状況が続きました。

 そのようなビート栽培を一変させたのが、日本甜菜製糖が主導して製紙会社・機械開発会社などとの協力で実現した「ペーパーポット移植栽培」技術です。

 これは、「ビートの収量を向上させるためには生育期間を延ばさなければならない」との観点から、紙の筒に土と肥料を詰めてハウスで育苗し、筒のまま畑に移植する技術で、糖分確保の決め手となる根を保護し、収量増が図れる画期的な発明として、昭和36年の実証試験を経て普及が急速に進みました。

 その後、排水改良の推進や営農技術の向上とともにビートの収量は飛躍的に増加し、現在は1ha当たり60t前後となっています。

 また、開発者には、特許庁長官奨励賞、農業試験研究一世紀記念農林水産大臣賞などが贈られました。

 

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