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最終更新日:2013年1月29日(火)


402コラム十勝の豆作


■産業振興部調整課
      Coordination Division        
      Industrial Promotion Department    

調整課


  ◎ コラム


◆ ~ 十勝の豆作 ~

 晩成社の入植以来、時を経て輪作体系が確立するまでは、大豆を始めとした豆類は十勝の畑作の中心作目であり、昭和10年には作付面積の6割以上を占めていました。

 このような豆単作化現象は、その理由として、気候風土に適していたことに加え次の2点が挙げられます。

 1点目は、賃金・労働力に乏しい当時の開拓農民が「畜耕手刈り」農法で比較的面積の大きい畑作を行うには、少肥・省力で作りやすかったということです。

 2点目は、豆類の需要拡大です。明治後半から大正初期にかけて大豆・小豆の本州向け需要が活発化し、その後第一次世界大戦勃発で菜豆、えんどうの海外需要が増大しました。これら豆類の旺盛な需要は一攫千金を夢見る投機性を助長し、農家の豆作偏重が一段と顕著になりました。この時の豆類の値上がりは5~8倍の暴騰であり、豆成金が続出しました。

 第二次世界大戦後は豆類の輸出は皆無となりましたが、小豆が一時期「赤いダイヤ」と呼ばれるほど国内市場における相場の花形としてもてはやされ、しばらくは投機性の残滓が見られました。小豆は冷害に弱く、だからこそ相場の乱高下を前提とする投機的農業の対象となり得たのですが、戦後の度重なる冷害(昭和20年、28年、29年、31年、39年、41年、46年)に大打撃を受けたことから、リスク分散と地力回復による畑作経営の安定という観点で豆作偏重を是正する動きが本格化し、冷害に強い馬鈴しょ、てん菜、小麦をバランスよく取り入れた、畑作主要4品目による輪作体系が確立されたのです。

 

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