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最終更新日:2013年1月29日(火)


401コラム十勝の開拓と馬


■産業振興部調整課
      Coordination Division        
      Industrial Promotion Department    

調整課


  ◎ コラム


◆ ~ 十勝の開拓と馬 ~

 十勝の開拓の歴史は、馬の歴史と言っても過言ではないでしょう。いわゆる「ドサンコ」と称される馬は、主に開拓の際、抜根などの厳しい作業に使われました。また、ドサンコは駄載力に優れていたので、荷物の運搬にも大きく貢献しました。入植当時の住居は、土間をはさんで馬小屋と寝室が一緒になっており、文字どおり人馬一体の生活でした。

 その後、開拓が進み様式のプラウ、ハロー、カルチベータが導入されるようになると、駄載力より農具を曳く輓曳力(ばんえいりょく)が必要とされ、農耕馬の大型化が要求されるようになり、トロッター種とペルシュロン種による交配が積極的に進められました。この交雑種は「農トロ」と称され、十勝の開拓に大いに共用されました。

 明治43年、音更村に開設された十勝種馬牧場は、フランスからペルシュロン種の種馬「イレネー号」を導入しました。昭和3年に亡くなるまでの間、1,074頭に種付けするという旺盛な繁殖力を発揮し、その功績を称えて建造された銅像が、今なお堂々と帯広競馬場内に鎮座しています。

 十勝の馬の飼養頭数は、農耕馬だけでなく軍馬の生産振興も加わり、十勝国産牛馬組合が誕生した明治39年には13,232頭でありましたが、その後も増加の一途をたどり、大正3年には3万頭を超えました。

 第二次世界大戦で軍用に徴用されたため一時減少しましたが、戦後は復興に向けた農耕の主力として活躍し、ピークの昭和31年には65,070頭に達し、多くの農家で2~3頭の馬が飼育されていました。

 その後、トラクターの普及に伴い急速に減少し、ばんえい競馬や肉用、乗用など、平成13年時点で3,361頭となっています(平成14以降統計はとられていません)。

 

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